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2007年 第3期 28才---------------


26.全品回収、社告、損害賠償の危機。

人生初の土下座。ひたすら罵声を浴びせられる。


――その時の失敗が、その後の転機になったのですね。


そうだね。
ただ、この頃の失敗は、まだまだ小さくて、
それ以外にもいろいろなことがあったんだ。

忘れもしない。
さあ第3期がはじまる!という時、
自分はお世話になっていた方の結婚式に参列してた。
都内での結婚式、日曜日。
気分もよく、まさかこんな日に事故が起きるなんて思いもしなかった。
帰宅後、パソコンを開いたら協力会社から一通のメールが入っていた。

内容は、
「詳しくはまだ確認出来ないんですが、商品に不良があったみたいです。」とのこと。

その案件は、数社が関わる案件だったから、
エスプライドと直接取引関係にあった代理店の担当者に、
翌朝、連絡をしたんだけど、
「とにかくすぐに来てくれ」って。
当時、そのクライアントの担当だったうちの社員と、
すぐに先方のもとへ向かったんだ。

先方の駅に着いても、どこに行っていいかわからず
再度、その担当者にどこへ行ったらいいかと電話したんだよね。

そしたら、
「社長、お宅の担当の方がいても対応できるレベルの問題じゃないから帰ってもらって。
社長一人だけ来てくれればいいから。」って言われたんだ。

この時までは、詳しい状況を把握出来ていない段階だったけど、
なんとなく、ことの重大さが分かった。

連れて行かれたのは、お客様の本社ビル内にある社員食堂。
その隅っこに連れて行かれて、
関係者に囲まれて、一言「座れ」と言われた。
時間はちょうど昼どき。
言われるがままに座ったけど、実際に何が起こったのか、
まったく状況を把握出来ていなかったから、かなり困惑していたと思う。

事情は徐々に相手から明かされていったんだけど、
「どういうことだ!」と言われても、
何も言葉が出てこない。謝るしかできなかった。

「全品回収だ。」
「社告を出す。」
「お前のところは、どうなってるんだ。」

ひたすら罵声を浴びせられ、
昼どきの食堂で大勢の人に白い目でみられながら、
人生初の土下座をした。
床に頭をつけて謝り続ける自分に、 ある代理店が一言。
「今回のことでクライアントとの取引がなくなれば、損害賠償額は18億円だ。」
重く背中にのしかかった。

2時間くらい、食堂にいたんだけど、
何十時間にも感じられたほど長かった。
その食堂を後にして、代理店の担当者と、そこの社長と喫茶店に入って
今後について話し合った。

まずは、自分たちを弁護するための書類を作らなければいけない。
すぐに名古屋に戻って加工時の状況を確認した。
それから東京の事務所に戻り、書類作りに没頭した。
ポイントは「不良の商品が一つしか入っていなかった。」ことを、どう証明するかだった。

ことの発端は消費者からのクレームの電話だった。
場所は地方の商業施設。
まずは、クライアントの関係者、
そして自分が、消費者であるお客様のご自宅へ伺い謝罪をした。

その後、その商品が置かれた商業施設へ行き、謝罪。
当初は、そこで解散するはずだったんだけど、
急遽、うちの生産工場に行くことになったんだ。

大勢で、ものものしい雰囲気だった。

完全に、自分たちに非があることは十分解っていたし
この問題を解決する為に全力で動いていた。

でも、代理店の担当者からは、
「こんな会社があるから 俺らが迷惑するんだよ。」
「こんなもの置いているから、事故を起こすんだ!」
と大声で言いながら生産工場内の棚を蹴飛ばしたり、
協力会社の従業員に罵声を浴びせたりしてた。

働いていたパートの何人かは、その場で
この日の出来事をきっかけに辞めたほど、
ひどかった。

その年の4月から6月は、
関係者への謝罪まわり…。

とにかく走って走って、走りまわった。
この対応の間、何度も挫けそうになった。
それでも、なんとか踏ん張れたのは、こんな状況にあっても
五反田のオフィスに帰れば、いつもと変わらず
働いてくれている社員がいるということ。

その姿を見ては、
「どんなことがあっても乗り越えなければ!」と、
自分を奮い立たせていた。

だいぶ後になってからだけど、
その時の代理店の社長のところへ改めてご挨拶にお伺いした時、
「よく逃げずに3ヶ月も誠実に頑張ったね。」
「しばらくは取引することは難しいけど、いつか復活させようよ。」
と言っていただいたんだ。

感極まる気持ちだったよ。
今も思うけど、あの時 起きた事故に対して、誠実に向き合い、
何度も折れそうになった自分自身の気持ちから 逃げずに戦い続けて、
ホントに良かったって思う。
現在は、品質に対する考え方や 品質向上に向けた取組みを
高く評価していただく事があるけど、
まぎれもなく、あの事故があってこそ今の自分たちがあると感じる。

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