361°TOTAL BRANDING トータルブランディング
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――2006年 27才 (第2期)


24.もう辞表はみたくない ~どんどん去っていく仲間たち~

2006年4月、設立2期目、
正直、目の前のことでいっぱいだった。

当り前のことだけど、一人で何役もこなさなければいけなかったし、
社員が増えれば増えるほど、彼らを路頭に迷わせるわけには
いかないという焦りで、社長としての役割というよりも
とにかく営業マンとして仕事を取ってくることで必死だった。
先のことを考えていないわけではなかったけど、
この時の自分は、今思えば目の前の売上しか見えてなかったのかもしれないね。

新卒の子が入社したのがこの頃だったけど、
中途採用も行っていて、
この頃、入社した中途メンバーは、
とても個性が強く、自己主張も激しかった。
自己都合でしかない仕事観を、周りの若いメンバーに強く言うこともあったみたいだね。
ケンカみたいになることも結構あったと思う。

メンバー同士の意見や会社の雰囲気はすれ違いが多くなり、
社内の問題は日増しに大きくなっていることに気づいてはいたから、
何とかしなくては…という危機感で、
できるだけ会社にいる時は、コミュニケーションの場を作り、
近況や問題点をメンバー同士で話し合うことを繰り返した。

けど…
なかなか想いが通じてなかったと思う。

そして、第1号の仲間としてメンバーになってくれた社員から、
「会社を去ります。」と告げられ、
上京してきてくれたメンバーからも 「もう限界です。」、
「辞めて名古屋へ帰ります。」と…
一人二人と会社を去って行ったんだ。

この時は、組織がぐらついている感じが手に取るようにわかった。
名古屋を拠点にしていた時から苦楽を共にし、どんな状況でも
気持ちは通じていたと思っていたメンバーが いなくなっていったときは、
本当に悲しかったし、悔しかったね。

自分を信じて上京してくれたこの子たちさえも
幸せにできなかったんだな…。と、
自分の未熟さが、すごく嫌になった。
正直、もう辞表はみたくなかった。

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